テロ

2001年9月12日
+わたしが滞在している国で大規模なテロが起きました。
+事件を知ったのは三時限目も終わりの頃だったと思います。
今日は蓬莱から来た英語の教師の方々を学校にお迎えし、
一日の時間割に沿ってあっちこっち引き摺りまわす日でした。
それの対応で頭が一杯だったので、学校である噂が広まっていた
こととは露知らず。はっきり言って寝耳に水でした。
「ツインタワーとペンタゴンに航空機が突っ込んだって」
その日の授業とも言えない授業が済んで、先生と生徒の間で
いきなり始まったその会話に呆然です。だってペンタゴンって。
+混乱しているところへ、丁度よい具合にアナウンスが入りました。
「いろいろな噂が飛び交っているようですが、真実はこうです。
ツインタワーとペンタゴンに、航空機2機が突っ込みました。
また新しいニュースが入り次第、お伝え致します」
この時はまだ、ことの重大さをいまいち掴めずにいました。
+次の時間はお昼ご飯だったので、担当の先生を図書室に
お連れしてから、食堂へ向かいました。
いつも元気な友人が、なんだかとても浮かない顔です。
「どうしたの」
「友達がマンハッタンにいるんだ」
携帯にメッセージが届いているけれど、校内では携帯が
使用不可のため、誰から届いているのかすらわからないといいます。
もしかしたら友達に何かあって、それで連絡を遣したのかもしれない。
と随分悩んでいたようですが、結局校庭に出て受信することにしました。
+彼女を待つ間に食事を適当(サイドサイズのサラダとイチゴ牛乳)に
済ませました。帰って来た彼女に早速質問。
「どうだった」
「ん、お母さんからだった」
よかったのだか悪かったのだかよくわからない状況でしたが、
とりあえずよしとしました。
+フランス語の次が数学でした。もともとテストの日だったのですが、
その前に全員でテレビを見ました。ここで初めてあの映像を見たのです。
突っ込む飛行機、崩れ落ちる建物、落下する人々、炎上、悲鳴。
現実でした。映画なんかと全然違いました。悲鳴が本当に悲痛で、
聴いているだけでこっちがおかしくなってしまいそうでした。
結局授業を受けつつもテレビはつけっぱなしの状態で、時折
アナウンサーや被害者の叫び声を耳にしては、そっちの方に目が
いってしまうなど、授業態度は最悪でした。でも仕方がないでしょう。
+その次の時間(生物)もニュースを見ていました。授業そっちのけです。
「こういう歴史的な瞬間に、自分が何をしていたかっていうのは、
いつまでたっても鮮明に覚えているものだ」
というお説教から始まって、最後には生物兵器だのなんだのという
物騒な話に持ち込んでしまった先生が実はとても好きです。
+家に帰ってからはテレビに釘付けでした。時間が経つにつれて
映像も情報もどんどん更新されていきます。ショッキングな映像も多数
放送されていました。
崩れる瞬間を向こう岸から収めたビデオに入っていた、とんでもなく
口汚い罵倒も、このときばかりは諌める気になりませんでした。
+崩れた瓦礫の中で救出作業を行なう消防隊の姿が映されました。
五歳くらいの女の子が持っていただろう、灰だらけになってしまった
手作り風のお人形(赤い毛糸で髪の毛が作ってある)を片手に、
やるせなげにため息をつく消防士さんの姿がとても印象に残りました。
+一刻も早く犯人を突き止めて、制裁が加えられることを祈っています。
被害者の皆様、関係者さまには深くお悔やみを申し上げます。
+ところでペンシルベニア州のピッツバーグは、わたしの住居がある街から
車で2時間というところにあります。薄ら寒いです。

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